2012年 01月 12日
2012 近江旅行記... 大津編③ 近江国一ノ宮と瀬田の夕照 |
「瀬田の唐橋」を渡ると瀬田の町が開けています。
瀬田の町は、東海道五十三次の52番目草津宿と53番目大津宿の間にあり、
瀬田の唐橋を渡ると大津宿で、その次は終点...京都三条大橋です。
旧東海道沿いの町を偲ばせる古い建物が残っていました。
左のお店は三階建てのようです。
この洋館は、昔、医院だったのでしょうか?
古い和菓子屋さん。
「でっちようかん」とは、京都や滋賀でよく見かける竹の皮に包んである蒸しようかんです。
普通の蒸しようかんよりも薄いので、竹の皮の香りが移って、味もあっさりしているので、
一人で1本食べられてしまいそうです。
滋賀では長浜から湖東方面の和菓子屋さんには必ず置いてあり、それぞれのお店によって
味が違うので食べ比べてみるのが、我家の楽しみになっています。
しかもその名の通り、「丁稚」さんでも買えた羊羹なので、お値段もすごくリーズナブルなのです。
近江八幡の「でっちようかん」が有名です。
とある御宅の前で懐かしいものに出会いました。
獅子舞です。
お囃子の人もけっこうな人数がいて、かなり大掛かりな「獅子舞」でした。
私が幼い頃、お正月に京都の祖父母の家に行くと「獅子舞」が回ってくるのが楽しみでした。
踊っている獅子の口が「バクバク」と動くのが、すごく怖いのだけれど、とても興味があって
口ばかり見ていたことを覚えています。
瀬田の町並みを楽しんでいると、道が二股に分かれていて、そこを左に曲がると次の宿場
草津へ向かう道で、まっすぐ行くと、私たちの次の目的地「建部大社」の参道になります。
建部大社の祭神は日本武尊、天智天皇の時代にこの地に遷座してきたという、とても
由緒がある神社で「近江の国一ノ宮」という社格です。
参道から駐車場まで、ずらりと車が並んで、ちょっとした渋滞のようでした。
京阪電車は空いていたのに...滋賀の人は、車でお詣りに行くのですね。
鎌倉は三が日の間、住民以外の車は進入禁止になるので、皆、電車と徒歩でお詣りに行きます。
だから、ちょっとビックリしました。
鳥居から門の前まで、このような「御神燈」がずらりと並んでいるのですが、個人や商店の他に
このような大企業からの奉納もありました。
滋賀には、立派な社寺が山ほどあるのですが、こういう大企業はどういう基準で寄進しているの
でしょうか?まさか全部にするわけにいかないし...地元の神社やお寺だけ?
でも、大津だけでも、かなりの数になるけど。
なんて、いらぬ心配をしながら、立派な門をくぐって、神社の中へ。
入ったら...本殿まで参拝する人の長~い列ができていました。
地元の人に愛されている、いや崇敬されている神社なのですね。
これは「拝殿」↓
拝殿の前にある「三本杉」↓
建部大社でも「初詣記念印」をいただいて、再び瀬田の町へ。
行きがけに見かけて気になっていた「たにし飴」の和菓子屋さん。
「たにし飴」を試食させていただきました。ニッキがすごく効いていました。
創業して100年ぐらいのお店だそうです。
唐橋を渡る前に...
補修用にネットをかけてある唐橋と、蜆取りの漁船。
無粋なグリーンのネットが無ければ風情のある風景だったと思うのですが...残念。
「瀬田蜆」は有名です。
蜆でも身が大きいのです。夫も私も昔は蜆汁の蜆の身も食べていた記憶があります。
蜆は身体にいいから「身も食べなさい」と親から言われていました。
今、こちらで食べる蜆は小さすぎて、とても身なんて食べられません。
私たちの記憶にあるのは、たぶん「瀬田蜆」ですね。
屋形船の係留場所でしょうか。
その先にある橋は...
東海道新幹線の線路橋です。
このあと、大津の町を一瞬で走り抜けて、山科のトンネルに入り「京都」に着きます。
マンションの前に並んでいる建物群は、大学や企業のボート部の「艇庫」です。
夏に来た時、瀬田川にはたくさんのボートが出て、練習していました。
今はお正月休みかな?
和風の建物が前回の記事に書いた中洲の料亭「あみ定」。
橋のすぐ脇にあるコンクリート造りの建物は、「あみ定」が経営する「老人ホーム」でした。
瀬田川の景色が眼の前で、料亭が経営している老人ホームって、何かすごいですね...
大津近辺の美しい景色を集めて「近江八景」というのですが、その一つに「瀬田の夕照」が
あります。「夕照」だから、瀬田の町から眺める夕陽のことだと思いますが、この日は
だんだん雲が多くなってきました。
それでも、やはり、なかなかに綺麗な眺めでした。
もう、十分夕方なのですが...強行軍は続きます(笑)
by toco-luglio
| 2012-01-12 01:22
| 近江