2011年 10月 30日
近江見聞録...1 .建築家ヴォーリズと近江商人の夢 |
最近、買った雑誌です。
「京都、奈良、大阪」に混ざって「滋賀」の県名が入っているので、思わず買いました(笑)
有名な「比叡山延暦寺」...京都の世界遺産として登録されているらしいのです。
確かに、比叡山は京都と滋賀県の県境にまたがっていますが、「根本中堂」など建物
の殆どは、滋賀県大津市にあります。
古都京都の世界遺産として「京都市・宇治市・滋賀県大津市」と、一応名前は入って
いますが、それを認知している人ってどれだけいるのかな~
最近の「家庭画報」の世界遺産特集には「比叡山延暦寺」は京都の世界遺産となって
いました...
そういうわけで、夫婦ともに滋賀県にルーツのある我家、その滋賀県の名前が雑誌の
表紙にハッキリ出ていて嬉しい!!!
さて、「近江見聞録」というタイトル、これまで度々滋賀旅行に行き、おそらくこれからも
出かけると思うので、これからは、そのつどの「旅行記」ではなく、近江=滋賀に関わる
ことについて書いていこうと思います。
まずは、NHKの朝ドラ「カーネーション」から。
最近、主人公が大阪の心斎橋にちょくちょく出かけていましたが...
その心斎橋を代表する建物といえば、「大丸心斎橋店」本館、南館。
糸子は心斎橋の素敵な建物の前を歩いていましたが、もしかしてあれはこの大丸の前
だったのではないかと...
ネオ・ゴシック様式の建物、アールデコ調の内装、そこに取り入れられている「和」。
様々な要素を取り入れたこの美しい建物を設計したのは...
William Merrell Vories...ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
1905年、アメリカから英語の教師として滋賀県近江八幡市にやって来た、ヴォーリズは
あの「メンタム」を製造販売している「近江兄弟社」の設立者の一人として、そして建築家
として名を残しました。
彼の生涯については、こちらへ。
朝日新聞の夕刊に「ニッポン・人・脈・記・」という連載がありますが、そこで少し前から
「建てる・守る・願う」というタイトルで、日本で活躍する建築家について特集されています。
ヴォーリズについても書かれていました。
建築家としてだけでなく、近江八幡で教育・製薬事業に身を捧げたヴォーリズは、この地で
亡くなりました。
教会、個人宅、学校、病院、郵便局等の公共の建物...彼の設計した建築物は関西圏に
数多く残っています。
同志社大学、関西学院大学、神戸女学院大学...
調べていると、あれもこれもヴォーリズの設計だったのかというぐらい出てきます。
関東では、明治学院大学、横浜共立学園、山の上ホテル等々。
当然ですが、本拠としていた近江八幡市、そして滋賀県内には特にたくさん。
今回は、彼の設計した建築物の中でもその保存運動について複雑な経緯があった
滋賀県犬上郡豊郷町にある「旧豊郷小学校」をご紹介します。
昨年(2010年12月末)に訪問しました。
豊郷町は彦根市に隣接する犬上郡の町の一つで、京都の盆踊りで踊られている
「江州音頭」の発祥の地でもあるそうです。
そして、近江といえば、「近江商人」。
豊郷町を含む湖東からは、特に数多くの近江商人が輩出しました。
この小さな豊郷町で、伊藤長兵衛、忠兵衛兄弟が生まれ、総合商社伊藤忠商事、丸紅の
創立者となりました。
豊郷町には、伊藤兄弟が寄付した病院等が今も残っています。
そして、彼らはこの町から、社員となる少年たちをリクルートしていました。
豊郷小学校は、卒業生であり、その後、伊藤忠兵衛商店の専務となった古川鉄治郎が、
費用全額に自身の私財を投じて、ヴォーリズに設計を依頼し、竹中工務店の施工により
1937年に完成しました。
正面にその古川鉄治郎翁の銅像がありました。
古川さんは、自分の母校を「東洋一」の小学校にして、「恩返し」したいと希望していた
そうです。
その夢の実現のために使われたお金は当時で50万円、今の金額にして「十数億円」に
なるとか...すごい人ですね。
コンクリート造りの立派な建物で、今、見ても全然古びていないです。
では、中に入ってみましょう。
明るくて広い廊下でした。
74年前に建てられたとは思えないほど、モダンな感じです。
重厚な階段の手すりの上にいる「ウサギさんとカメさん」。
旧豊郷小学校といえば...イソップの寓話にちなんだ「ウサギとカメ」がここにある
エピソードが有名です。とてもいいお話なので、こちらをご覧ください。
途中で休んでいるウサギ
とうとうカメがウサギを追い抜きました。
カメさん、ゴール!!!
古川翁とヴォーリズの思いのこもった「ウサギとカメ」には後日談があります。
戦争中の金属供出の時に、このウサギとカメも例外なく供出の憂き目に遭いました。
竹中工務店がこの学校を施工した時の現場監督だった神谷新一さんが、戦後
大阪支店長となって、この小学校を訪れた時にその事を知り、残っていた資料をもとに
ウサギとカメを自費で復元して、学校に寄贈されたのだそうです。
神谷さんは、後に竹中工務店の副社長まで務められたそうです。
この学校を建てた人や関係者の思いがこもった、そして、多くの子ども達の小さな手に
触れたウサギとカメは冬の陽射しの中で、やさしい金色に輝いていました。
階段を上がった所には、水道が。
ここで水を飲んだり、手や筆を洗ったりしていたのでしょうか...
豊郷小学校は、当時としては画期的な水洗式のトイレも完備していたそうです。
「唱歌室」は、今の音楽室ですね。
窓の下がロッカーになっていて、名前が貼ってありました。
先生が使われていたのでしょうか。
「電話室」。
豊郷町に電話を引いてきたのは、伊藤忠兵衛さんだそうです。
今、この小学校は、地域のコミュニティスペースとして利用されているそうです。
老朽化を理由に校舎の建て替えを主張した前町長と、保存存続を主張する住民や
歴史的価値からそれを擁護する人々をも巻き込んだ争いになり、裁判にもなったそう
ですが、私たちが訪れた時は、冬の日差しの中で、静かに佇んでいるかのような
豊郷小学校でした。
「豊郷小学校旧校舎群」...建築やインテリアに興味のある方は必見です。
最後に...
豊郷小学校が有名になってしまったもう一つの理由を。
アニメ「けいおん」の主人公達が通う学校の建物が、この小学校に似ているということで、
ファンの「聖地巡礼」場所として人気が出たそうです。
私たちが訪れている時も、なぜか若い男の子がいっぱい来ていて、私は最初、建築を
勉強している学生さんかと思っていたのですが、それにしては以上に数が多く、何だか
ちょっと違う雰囲気で...
同行の娘にそう言っても、彼らのことは「建築科の学生に見えない」というし...
最後にこの部屋に行き着き、すべてに気が付いた...ということがありました(笑)
...こんな感じで、これから「近江見聞録」を時々綴っていきたいと思います。
by toco-luglio
| 2011-10-30 19:43
| 旅行