2010年 01月 16日
2010上海旅行…その3 上海家常菜と交通マナーの思い出 |
上海を含む江南地方は、古くから「魚米の郷」と呼ばれ、中国の中でも食べ物に
困らない地域なのです。
市場に行けば、様々な野菜や肉、上海蟹などの新鮮な魚介類が手に入ります。
食材は豊富なのに、「上海料理」といえば「家常料理」と呼ばれる「家庭料理」の
範疇を越えない、シンプルで簡単な料理が多いのです。
「満漢全席」と呼ばれる北京の豪華な宮廷料理、「食在広州」と呼ばれる華やかで
美味しい香港や広州の廣東料理と比べるにはあまりにも質素な上海料理…
だから、上海の有名豪華レストランには、上海料理を謳っている店はなく、大体が
「廣東菜」と呼ばれる廣東料理店です。
幼い時から中華料理を食べ尽くしてきた我が娘ですが、その彼女の一番の好物は、
質素な上海料理なのです。
当時、我家には「阿姨」(アーイー)と呼ばれる家政婦さんが通いできていて、その人が
とても料理好きだったので、週に一度は料理を作ってもらっていました。
もちろん普通の人ですから、作れるのは上海の「家常菜」です。
娘は、アーイーの作る小吃では、糯米焼売(もち米しゅうまい)その時の季節によって
中味の野菜を替える水餃子、ワンタンが大好物でした。
「好吃、好吃!」(おいしい!)と言っておかわりをする幼い娘をアーイーは溺愛し、
毎回、食べきれないほど娘の好物を作ってくれたのも懐かしい思い出です。
中国で幼い頃を過ごした人の中には、この「アーイーの味」を記憶している人も多い
ようで、今、娘がアメリカで一緒に学んでいる中国系の友人達は皆「アーイーの作る
ごはん」を恋しがっているそうです。
さて、そのアーイーの作ってくれた懐かしい味を求めて、上海初日の夜は「上海菜」の
「吉士酒樓」を予約しました。地元でも人気店なので予約しておく方が無難です。
淮海中路を西に下った天平路にあります。この辺りは昔、フランス租界でした。
ホテルから大して遠くないのに、道を知らないタクシーの運転手に続けてあたり、
所要時間が倍かかりました。
上海はタクシーが多くて便利なのですが、道を知らない運転手がけっこういるので、
要注意です。地図が必携…なところは、昔と全然変っていないと思いました。
しかも、かなりな有名店でも、その運転手が知っているとは限らないのです。
最近は運転手も星の数でランク付けされていて、五つ星クラスになると安心ですが、
星の無い人は、恐らく新人なので要注意。地図とメモを持っていないと大変です。
メモは、最後の手段で住所を紙に書くために必要なのです。
行き先が決定している時は、先にメモを渡しておくのも有効な方法ですし、乗る前に
「○○(行き先)を知ってるか?」と聞くのも一つのテですが、大体皆、あまり知らなくても
「我知道、知道」(知ってる、知ってる)と言うので、アテにしない方が良いです(笑)
話が逸れましたが、何とか店に辿り着きました。9予約の取れた9時をだいぶ過ぎて
いたのに、店の前には行列ができています。予約した客は、別棟に案内されました。
上海の街中のレストランは、夜中の1:00まで営業という店がざらにあるので、9時過ぎ
なんて、まだけっこう早い時間帯です。
予約客用の部屋にも、私達の後から、どんどんお客さんが入ってきました。
中華料理を頼むと、量が多いので、3人で行くとあまり種類多く頼めないのが、惜しいの
ですが、この日は、アーイーの味を偲んで、娘の好物をオーダー。
↑紅焼肉
こってりしているように見えますが、見た目ほど味は濃くないのが、上海菜の特徴です。
油面筋(丸い麩のようなもの)と青菜の炒め物
油面筋の中には挽肉を詰めてあります。今回は醤油味でしたが、アーイーのは
「清炒」…塩味でしたから、濃い色ではなかったです。
葱油芋奶
「何か野菜炒めを」と言ったら、里芋と葱の塩味の炒め物が…
これもアーイーの得意料理だったので、嬉しい~
もう一品、写真を撮り忘れたのですが、「火腿と冬瓜のスープ」も頼みました。
火腿は中国のハムで、上海郊外の金華山が生産地として有名です。
これもアーイーの得意料理でした。
最後に、娘の好物「上海炒面」(上海風醤油味焼きそば)を頼んだのですが、ここでは
置いていなかったので、葱油拌面をオーダー。
ごま油で炒めた葱がのった焼きそばです。シンプルだけど美味しいのです。
…以上に、菊花茶と食後の西瓜がサービスで、全部で158元(約¥2370)でした。
懐かしいアーイーの家常菜を食べることができて、娘も大満足でした。
夜の淮海中路の繁華街。
イルミネーションで綺麗にライトアップされていました。
小さな紅い中国のランタン(提燈)が、クリスマスオーナメントのようでした。
昔、私が住んでいた頃は、自動車が今ほど普及していなくて、走っているのはトラックや
バス、タクシーなどの公共の乗り物と、一部のお金持ちや、外資企業のエライ人用の車
が主でした。個人の車以外は、皆汚くておんぼろな車でした。
今回、久しぶりに訪ねて、個人の車が増えたことと、公共の車も綺麗で新しい車が増えて
いて驚きました。でも、まだあまり変っていないな~と思ったのが…
「自動車優先の運転マナー」
昔から、右折も左折も、横断歩道だろうが、歩行者がいようが、減速もせず突っ込んでくる
ので、道路を横断するのは命がけでした。
上海在住時代、娘は小学生になっていましたが、彼女には一度も一人で道を渡らせた
ことはありませんでした。しかも当時は横断歩道ですら、歩行者用の信号の点滅時間が
短く、彼女が小さい時は抱っこして、大きくなってからでもいつも娘とぎゅっと手を繋いで、
渡っていました。学校はスクールバスでしたが、それ以外の時、たとえばお友達の家に
遊びに行く時も送り迎えをし、私がどうしても行けない時は、アーイーにタクシーで迎えに
行ってもらったり。自転車も一般の道では一度も乗らせたこともなく、娘は小学校卒業
まで、全く一人で外を出歩いたことがないという、まさに正真正銘の「箱入り娘」でした。
とにかく彼らの交通に対する意識には、最後まで慣れることができず、毎晩「今日も皆
無事で良かった」と、神様に感謝していたものです。
それは今回も変わっていなくて、相変わらず、右左折の車は減速しないし、歩行者の方も
赤信号でも、平気で横断する人がまだいました。
「発展しても、相変わらずマナーが悪い!」と怒る私に、夫は「人間優先ではなくて
自動車優先というのが、彼らのマナーなんだよ。」と言っていました。
そうは言ってもねぇ…
子連れで外出するのは命がけ…な思いをしていた当時の私が、一番落ち着けたのが、
今回宿泊した「花園飯店」でした。
当時は従業員も、丁寧な日本語で話してくれたし、何より綺麗で静かだったので、街中に
外出した時は、必ずここに寄って休んでから、帰宅していたものでした。
つまり、当時の私の「オアシス」のような存在だったわけです。
あれから何年もたって、娘は成長し、たとえ上海でも、私が手を引かなくても道路を渡れる
ようになりました。それでも、今回、ホテルに戻る度に気持ちが、なぜかほっとしました。
上海第一日目から、いっぱい歩きましたが、二日目はもっと歩きました…
続きは次回で。
by toco-luglio
| 2010-01-16 15:18
| 旅行