2013年 08月 23日
おじいさんの時計 (父と歩いた備忘録 追記) |
前回の記事に、幼い頃の父が祖父と一緒に三宮の時計屋さんに行ったことを書きました。
実はその時のことを父はとてもよく覚えていたのです。
小学生だった父が、夕方、家の外で遊んでいたら、祖父に「これから三宮に行くんやけど
一緒にくるか?」と誘われてついて行ったことがあったそうです。
祖父がその日、何のために三宮に行ったのかというと、祖父が愛用していた懐中時計の
鎖を買いに行くために時計屋さんへ行ったのでした。
元々あった鎖をどうしたのか、父の記憶はおぼろなのですが、とにかくその日、祖父は
新しい鎖を買ったのだそうです。
それから…戦争が終わって、時は流れに流れて…父も成長し、就職して東京へ行き
結婚して家庭を持ち、娘が二人生まれて、その娘(私)が大学生だった時に祖父は
亡くなりました。
それから、さらに十年以上たって、娘達も結婚して父と母に二人の孫ができ、父が還暦を
迎えた頃、祖母がこの世を去りました。
そして、祖母が夫の形見として、鏡台の引き出しに入れて持っていた祖父の時計は
息子である父の手元に。
父はその時、もう何年も止ったままの時計を見て、祖父が鎖を買いに三宮の時計屋さんに
行った日のことを鮮明に思い出したのだそうです。
新しい鎖は、時代が時代だったせいか、祖父が仕方なしに選んだ鎖だったことを。
そして、さらにそれから時は流れて、父は孫である私の娘が幼い頃、いつか彼女に
この時計を譲ることを娘と約束していました。
娘がアメリカに留学する前に、父は鎌倉の古くからある時計屋さんに、その時計が動くか
どうかを聞いてみたら「大丈夫、動きます。」と言われ、修理に出しました。
部品の取り寄せなどに少し時間はかかりましたが、娘がアメリカに出発する前に、
その時計は、父の「思い出の鎖」をつけたまま、娘の所へやってきました。
「これは良いものだから、大切に使ってください。」という時計屋さんのコメント付きで…
その時計は、アメリカの「WALTHAM」社製の懐中時計でした。
アメリカで一番古い時計のブランドで、懐中時計が有名で、歴代の大統領にもその愛用者が
多かったそうです。
明治生まれの祖父がこの時計をいつどこで手に入れたのか、親族の中でも、今はもう誰も
知っている人はいません。
鎖は時計には不釣り合いの…たぶんニッケル製で、いいものではないようです。
元々のは、おそらく戦争中の金属類回収令が出された時に供出してしまったのではないかと
思います。
祖父は2回従軍しています。
その祖父愛用の時計が、また時を刻むようになって、鎖とともに曾孫に受け継がれました。
かなり昔にアメリカで造られたこの時計…時を経ていくにつれ、元の所有者の歴史は儚く
関係者の記憶の中から消えていってしまうのに、図らずも我家に来て、また動き出したことに
不思議な縁を感じました。
大切に伝えていこうと思います。
映画が苦戦しているそうです。
私は戦争中のことを知らない世代に伝えるのに、とてもいい映画だと思うのですが、
映画化・公開が遅きに失した感は否めません。
戦争中に子どもで、終戦のことまで記憶できているのは大正後期~昭和12、3年までに
生まれた世代の方達だと思います。
しかし、その世代の方も今や、70歳代後半から80代後半となってしまいました。
その世代の子である夫や私の世代は、子どもの頃から親たちに戦争中の子ども達が
いかに大変だったかを、それこそご飯を残そうとすたり、好き嫌いを言ったりした度に
言い聞かされ、耳タコ状態の人が多いのではないかと思います。
私も娘が幼い頃、好き嫌いを言うと、おばあちゃんの話をよく「受け売り」していました。
それでも、所詮受け売りなので、飽食の時代に育った娘には、どこまで通じているのか
怪しいです。
でも、今回、「少年H」を一緒に見た娘にとっても衝撃だったのは、戦時中の小中学生の話
だったそうです。
特に中学生が、あの時代、勉強よりも、学校で兵隊さんのように訓練されていたことを知り、
驚いていました。
本来、学業が本文であるはずの中学生が学ぶ時間を割いてまで、軍事教練や勤労奉仕を
しなくてはいけなくなった戦争末期。
そして、それについて、理を尽くして話すのでは無く、頭ごなしに怒鳴りつけて命令する
配属将校の理不尽さ。
そういうオトナの戦後の豹変ぶり。
「戦争」というものの醜さ、愚かさを映画「少年H」は、若者にリアルに伝えたように思います。
もう少し、せめてあと10年早く制作されていたら…と惜しまれます。
そうしたら、河童さんと同じ世代の方達が、共感をもって、もっと語り出してくれたことと
思うのです。
戦中を子ども時代に経験され、記憶されている方達が高齢になりすぎました。
身をもって経験された人たちの言葉は、それを知らない世代の人の心に深くしみ入るのです。
H少年の近所の若い「オニイサン」達が戦争に取られてしまったことについて、娘は
「今、戦争になったら、私の同期の男の子達も皆、戦争に行かされてしまうんだよね…」と
言っていました。
若い人たちにこそ、ぜひ見て欲しいと思います。
そして、祖父母がご存命であれば、ぜひ、今のうちに当時の話を聞き出しておかれると
もっと自分に近いこととして捉えられるようになると思います。
by toco-luglio
| 2013-08-23 06:03
| 思い出