2013年 04月 28日
行く春を惜しみながら…(四月のおさらい)京都編 その1 |
連休に入りましたが、ここ二日間の鎌倉はとても爽やかな良いお天気に恵まれております。
夫の仕事の関係で、我家はとくに何の予定も入れずにGWを過ごす予定です。
さて、四月もまもなく終わります。
実は月の初めに、京都に行く用があり、その後駆け足で京都と滋賀を回ってきました。
ちょうど、私が京都に着いたその日に「桜」が満開になったそうで、思いがけなく京都の桜を
見物することができました。
今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台の一つにもなっている京都。
ドラマ上で現在「川崎八重」である八重は、明治になって同志社の創設者新島襄の妻となり
「新島八重」となるのですが、今回訪れたのは八重が山本八重~川崎八重であった頃に
会津藩と縁が深かった京都の東「くろ谷金戒光明寺」であります。
京都では「くろ谷さん」と呼ばれているこのお寺、金戒光明寺は法然上人が草創した
浄土宗最初の道場の地であり浄土宗七本山の一つで、徳川幕府の手厚い庇護を受けて
いたそうです。
そういう縁で、幕末に京都守護職を拝命した会津藩がここに本陣を置いたようです。
私が「くろ谷さん」を訪れた日はあいにくの雨でしたが…
桜は満開でした。
すれ違った人が「こんなに立派な桜はそうそうあらへんで」と話していた桜の大木。
本当に満開でした。
この階段から振り返ると立派な山門が見えるのですが、生憎修復中でした。
幕末、ここで会津藩の松平容保をはじめ、会津藩士の面々が大勢居留していたとは
思えないほど静かな境内。
桜の季節、京都はどこも旅行客でいっぱいなのですが、ここは比較的空いていました。
しかし、お寺の北東にある墓地に行くと観光客がけっこういました。
かなりの傾斜地にある墓地も桜でいっぱいでした。
たぶん、他のお客さんも私と行き先は同じだと思います…
ここの墓地の奥に「会津墓地」があるのです。
看板にあるように二大将軍秀忠夫人「江」にも縁があるそうなのですが、今回はそれは
置いといて「会津墓地」を目指します。
ひたすら階段を上ると由緒ありげな三重の塔がありました。
徳川秀忠の御供養のために建立された塔だそうです。
ここから京都の町並みが一望できました。
お天気が悪かったのが本当に残念でしたが、京都タワーも見えました。
三重の塔を左折して、墓地をひたすらてくてく歩いてようやく到着しました。
ここも桜でいっぱいでした。
会津藩が京都守護職となって京都に入り、金戒光明寺に本陣を置いたのが文久二年
(1862年)。
それから慶応三年(1867年)までの約6年の間に亡くなった藩士237名のお墓と、
慶応4年(1868年)の「鳥羽伏見の戦い」で亡くなった藩士150名の慰霊碑があります。
故郷会津を離れて、いわば「単身赴任中」に「殉職」したり「戦死」した藩士達がここに
静かに眠っているというわけです。
藩主の保科正之が神道を信奉していたので、会津松平家は神道でした。
かなりの数のお墓には「〇〇神霊」というような、仏教でいうところの「法名」や「法号」に
当る「霊号」が彫られていました。
会津藩鳥羽伏見戦死者慰霊碑。
八重の弟「山本三郎」の名前もありました。(黄色で囲ってあります)
ここの墓地は、現在も会津藩士の子孫の方々など縁の人たちによって守られているようです。
山門の周りにも桜があったのです。
修復の完成は今年の秋。
ここは紅葉も有名だそうですので、またぜひ再訪してみたいと思いました。
母の生まれ故郷であり、親戚もたくさん住んでいて、私自身も生まれて、一時住んで
小学校に通ったこともあり、何度も何度も訪れている京都なのですが、意外とというか
かなり行っていない所が多いのです。
八重の兄、山本覚馬のお墓は、若王子にある「同志社墓地」にあるそうなのです。
母に聞いたら「そうや~」とか、どうも前から知ってたらしい。
何か聞き出したら、いろいろ知ってるようなのだけど。
幼い頃、京都で母に連れて行ってもらった記憶があるのは…
とにかく「大丸」と「高島屋」!!!
京都動物園と植物園には、よく行ったらしいのですが。
(じじばばと一緒の写真が、たくさん残っています)
あとは西本願寺と京都御所。
それから母の友人の家。
この辺りは、今でも地図無しで行けるほど記憶が鮮明です。
若かった母は帰省すると、友人と会ったり、祖父母と買い物に出かけて何か買ってもらって
いたのですね。(当時の母の最高の息抜きだったのかもしれません)
あとはいとこ達と終日遊んでいた記憶…子どもにとって、町屋の家は最高の遊び場でした。
商店街で「つけ」で買い物をして、月末にお店の人が「大黒帳」を持って「掛け取りに来る」
なんていう経験も、母の実家の近所で初めて経験しました。
そして、地蔵盆とか大文字焼とか。
夏休みは長くいたから行事の記憶が多いです。
母にしてみたら「地元」だから、有名なお寺や神社なんて、用が無ければ、わざわざ
行かないっていう感じだったのだと思います。
そういうわけで、私にとっては懐かしいけど、知っているような知らないような京都。
娘の会社の同期には京都出身者が多くて、一番の仲良しになったお嬢さんは、嵐電沿線に
ご実家があるそうです。
これも何かの縁でありましょうか。
京都に用があっても、用事が済むととんぼ返りしていたのですが、これからは少し余裕を
持って出かけて、いろいろ回ってみたいと思いました。
by toco-luglio
| 2013-04-28 23:45
| 旅行