2012年 12月 22日
2012 山陰旅行記 ... 武家の生活 松江・出雲編 その4 |
松江城下の面影を色濃く残している塩見縄手と呼ばれる地区は、お濠に沿った通りにあります。
昔、ここに塩見小兵衛さんという武士が住んでいたそうで、彼は200石取りの中級武士でしたが、
その後異例の出世を遂げて最後は松江藩の老中にまで上り詰めたそうです。
その塩見さんをたたえて「塩見縄手」と呼ばれるようになったそうです。
ちなみに「縄手」というのは、城下町では「まっすぐな道」のことを指すようです。
200~600石取りの中級武士…企業でいえば「部課長クラス」でしょうか?
今は公開されている「武家屋敷」は600石取りぐらいの武士が住んでいたそうです。
つまり「部課長社宅」といった感じでしょうか。
江戸時代中期の享保18年(1733年)頃、建てられたそうです。
早速、中に入ってみましょう。
内玄関
この隣に表玄関があります。
座敷
ここに客を迎え入れていたようですね。
雪隠(トイレ)
座敷のすぐ隣にありました。
こういう作り、懐かしいです。
私の祖父母の家のトイレもこういう感じで、いったん外廊下に出なければならず、冬は寒いし
夏は蚊がぶんぶんしているし、おじいちゃんの家に行くのは楽しみだったけれど、トイレだけは
どうしても嫌だったなぁ~
表の庭
意外と質素な庭園です。武士だから華美にはしないってことでしょうか。
当主の居間
やっぱり広いです。
奥方の居間
昔の日本は、部課長クラスでも夫婦別室が可能なほど広い家に住めたということに驚き!
茶室
さすが、大名茶人として名を馳せた松平不昧公が出た松江藩だけあって、部課長クラスの
家にも「お茶室」があるのですね。
昔の武士にとって「茶道」は武家として当然の嗜みだったということでしょうか。
現在のゴルフとか麻雀とかに当るのかなぁ。
(ずいぶんと違うような気もするけど…)
中庭
ここには池もありました。
実はこの先に裏庭もあるのです。広い!!!
仏間
右の奥の棚の上に仏具が見えます。
長四畳
畳がずらっと4畳並べてあるのです。面白い作りですね。
お膳が置いてありましたが、ここで食事を取っていたのでしょうか?
井戸
この井戸の回りに、風呂場や炊事場が並んでいるのです。
水を汲んで運ぶのに便利だからですね。
湯殿(風呂場)
な~んか懐かしいです。
昭和になってもこういう木の風呂桶や簀の子ありましたよね。
湯殿の横の壁に大きな瓶が半分埋まっていました
壁の向こうは炊事場でした。
木桶が置いてある下に瓶の半分が出ています。
つまり、井戸から汲んだ水を外に出ている部分から入れて、中で使うのです。
便利!合理的!
ここに一番感心しました(笑)
台所
奥方が指揮して、何人もの女中さんが働いていたのでしょうね。
門の脇にある中間部屋。
母屋から離れています。
…ということでざーっと回ってみましたが、実際はもっと部屋がありました。
中級武士で、この広さですから、老中クラスの上級武士の家はかなりの広さであったことが
推察できます。
しかし、建物も調度類も本当によく保存されていました。
江戸時代の武士の生活を垣間見ることができて、本当に興味深いです。
ここは一見の価値かなり有りです。
さて、外に出て塩見縄手の端まで歩きました。
博物館のようになって公開されている屋敷はここで終わりで、この先は武家屋敷の風情を
残したまま、現在も人が居住している家が並んでいました。
この辺りでは晴れ間も見えていたのに…
その先の宇賀橋を渡る頃には、この天気です。
強い雨が降り出しました。
写真の右上の方に天守が見えています。
武家の町の面影を今に伝える「塩見縄手」。
へルンさんの愛した塩見縄手で、松江藩の武士の生活を駆け足で追いかけてみました。
さて、この次は「お殿様」を追っかけます!!!
by toco-luglio
| 2012-12-22 06:08
| 旅行