2010年 10月 24日
2010四国旅行記 ... その4 さよなら宇和島!また来るね |
私的旅日記のようなブログに、お付き合いいただきありがとうございます。
私は気に入った所を何度も訪ねる旅をする傾向があるので、こうやってブログに
書き留めておくと、次に行く時に非常に便利だということに、今頃気づきいたので、
今回はけっこう真面目に書いています...
では、宇和島のつづき。
お城から下城した後、少し街をぶらぶら。
「きさいやロード」を歩いていたら、こんなものが↓
「うわじま牛鬼まつり」の鬼面です。
お祭り自体は7月末にあるそうですが、南予最大のお祭りらしく、宇和島のシンボルの
一つになっているようです。
ほら、マンホールの蓋にも...↓
そして、もう一つ、宇和島で有名なのは...↓
「闘牛」です。
昔は農耕用の牛を使って、農家の人たちが「闘牛」を楽しんでいたそうです。
お城の「城山郷土館」で案内してくれたおじさんが子どもの頃には、けっこう闘牛が
盛んだったそうで、おじさんのお父さんがそれに夢中になってお金を遣うので、
お祖父さんに「いいかげんにもうやめてくれ」と言われたと話してくれました。
それぐらい宇和島の人には人気があった「闘牛」。
今は年5回開催されています。
街中で見かけた「闘牛」の番付表。
(ガムテープで貼ってあるところが、町の行事っぽくていいなあ)
残念ながら、この「八月場所」は例の口蹄疫の流行で、今年は中止になったそうです。
次回の場所は10月第4日曜日。
これは毎年fixみたいなので、夫は「よし!来年は絶対これを見に来る!」と気合を
入れていました。
駅近くの歩行路のタイルにも「闘牛」が。↓
前の日の夜に南国的だな~と感じた駅前の大きな道路。
ここがとても幅広い道なのです。
その理由は、前にも書いたとおり、戦災で町が焼け落ちてしまったから...なのですね。
商店街の近くにあった小さな神社。↓
小さい神社なのに寄進者がすごく多いなあと思っていたら...↓
「えびすさま」の神社なのでした。
宇和島は漁業の町だから、昔からここにあって、宇和島の町人たちの崇敬を集めて
いたのかもしれませんね。
街中で見かけたベロ・タクシー。
車体に真珠貝の絵が描いてありますが、宇和島は「真珠養殖の町」でもあります。
日本の養殖真珠といえば、三重県が有名ですが、生産量ではここ宇和島が三重県を
上回っているそうです。たしかに街中に真珠専門店が多かった。
最近、お隣の国の淡水真珠が、安価なのと形が不揃いなのがかえって面白いと
人気があり、日本の高価な真円の養殖真珠は押され気味だそうです。
私はパールが大好きなので、そのテの淡水真珠もけっこう持っています。
でも今回、宇和島でふらっと入った真珠前門店で見た日本の真円真珠のクオリティの
高さに圧倒されました...やっぱり綺麗。
聞けば、宇和島の真珠も安い淡水真珠に押されて苦戦しているようですが、何とか
がんばって欲しいものです。
今回の旅の記念品は「真珠の首飾り」に決定しました。
(真珠の首飾り...大好きなフェルメール...)
東京や横浜の、店舗から立派な「MIKIMOTO」や「TASAKI」のようなお店に高品質の
真珠が置いてあるのは当然なのかもしれませんが、宇和島のような生産地にある
真珠専門店で見る本物は、また違って見えました。
お店のきらびやかさも無く、スタイリッシュな店員さんがいるわけでもない...
「素」で勝負する自信とでも言ったら良いのでしょうか。
手仕事とその品質にこだわる日本人の心意気みたいなものにぐいぐい引かれた
...という感じですね。やっぱり最後は日本製!
糸が切れたら何度でも替えてくれるという保証付きも嬉しい。
真珠の町の人たちが、丁寧に育てた自分達の真珠への思いを感じました。
街中から見えるお城。
城下町っていいなあと思う瞬間です。
この後、今は御殿町という町名になっている旧「御濱御殿」のあった場所にある
「宇和島市立伊達博物館」へ行きました。
博物館の前には「賢公」の誉れ高き八代藩主伊達宗城公が...↓
昔、社会科や日本史の教科書に載っていた「豊臣秀吉画像」を覚えておられる方も
多いと思います。
この国指定の重要文化財になっている秀吉の画像は、この博物館の所蔵品なのです。
この画像は秀吉の側近だった富田一白が、秀吉亡き後、旧主を追慕して描かせたもの
だそうで、現存する秀吉画像の中でも最も古いものだそうです。
富田一白の息子が宇和島の領主となってここに来た時に、この画像も一緒に渡って
きたらしく、後に宇和島伊達家へ献上され、今日に至るそうです。
本来は劣化を防ぐためにGW時など限られた期間だけ公開しているそうなのですが、
今回は特別展「戦国浪漫」が開催中で、秀吉の「黄金の茶室」(復元)などと一緒に
「秀吉画像」も特別公開されていました。ラッキー!!!
秀吉の傍近く仕えた人が、秀吉を偲ぶために描かせたからなのか、思ったより小さな
画像でした。部下(家来)が、写真(画像)飾ってまで、主人を偲ぶなんて...
秀吉って、本当に部下に慕われていたのですね。
その他に宇和島伊達家歴代藩主の甲冑や馬具・刀剣などの武具類や、奥方たちの
みごとな金蒔絵の化粧道具や駕籠のような「乗り物」なども公開されていましたが、
特にお殿様の鎧・兜は圧巻でした。
これ、全部手作りなのよね…
そして、昔の人の色遣いのセンスにも脱帽!というか、たぶん、私たち日本人の中に
ああいう色遣いを受け入れるDNAが、脈々と流れているっていうことなのかも。
ところで、上にリンクした博物館のブログに、宇和島伊達家の現在のご当主(十三代)のことが書かれていました。
この方のご先祖様が、この立派な甲冑の持ち主だったのですね...
「お殿様」は現在東京在住だそうですが、何か行事があると宇和島に「ご帰国」されて
おられるようです。
本当は「天赦園」にも行きたかったのですが、時間切れ。
お土産を買いに、宇和島の道の駅なのだけど港にある「きさいや広場」に行きました。
いや~、ここはすごい!大賑わい。
宇和島の海産物や、特産のお菓子、そして果物、柑橘類...みかんもいっぱい!
食料品ばっかり、持ちきれなくて、結局宅急便で家まで送ることに...
買物をした後、また車で松山へ...
途中下車して見た宇和海の景色。
下の方に鉄道のトンネルが見えます。
ちょうど列車が通り抜けていきました。「予讃線」です。
このあたりは急な傾斜地なので、畑も段々畑です。
島のように見えますが陸です。
入り組んでいるこの湾が、きっと魚に良い環境なのでしょう。
1日しかいなかったけれど、いろいろなことを考えさせてくれた宇和島。
楽しかった!ありがとう。
さあ、暗くなる前に松山へ出発~!
by toco-luglio
| 2010-10-24 06:56
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