2009年 06月 02日
懐かしいけど古くない!…資生堂・サントリーの商品デザイン展 |
今日もまた娘と美術館めぐり。
月曜日でも開館している所を探します…
あった、あった!しかも今日が最終日。
これは絶対に行かなくては…と上野まで。
鎌倉は曇りだったのに、横浜は雨、でも上野は晴れていた、という変な
お天気でしたが、深緑の上野公園を抜けて、国立博物館の横を通り過ぎると…
(旧因州池田屋敷表門)
東京藝術大学があります。
藝大美術館は、残念ながら本日は休館日。
その横にある古い建物「陳列館」にて、今日まで開催していたのが…↓
日本を代表する企業の商品パッケージをデザインする…ことは、デザイナーを
目指す人の憧れです。その中でも、昔から特にデザインに力を入れているのが、
資生堂とサントリーという、化粧品と飲料の代表的なメーカーです。
今回の展覧会は、その資生堂とサントリーの明治30年(資生堂)から、平成21年
までの優れたデザインを年代別に一堂に集めた展示でした。
もちろん写真撮影は禁止だったので、ここにご紹介ができないのが残念ですが、
本当に懐かしい見慣れた商品がたくさん、たくさんあったのです。
資生堂の化粧品…
その昔、祖母が資生堂の「花椿会」に入っていたので、祖母の鏡台にはいつも資生堂の
化粧品があったそうです。そしてそれは母にも受け継がれ、母の鏡台にも、資生堂の
化粧品があったことを覚えています。
中でも「de luxe」ドルックスシリーズのクリーム。
白いつや消しのガラス瓶に銀色の蓋に細かくレリーフが施された、小さいけれど、ずしりと
したその瓶の重さを、今でもはっきりと覚えています。
母がいない時に、恐る恐る開けてみた瓶の中のクリームの匂いが母の匂いだったのだと
気付いたのは、何歳頃のことだったのでしょうか…
そうそう、ドルックスの口紅のケースもとても綺麗だったので、使い終わったその容器を
母からもらって宝物にしていましたっけ。
一番左端の赤い瓶は、現在も販売されている資生堂の「オイデルミン」という赤い
化粧水の1897年(明治30)に発売された最初のパッケージです。
今、見ても、思わず手に取ってしまいたくなるほど、素敵なデザインですね。
左側がお馴染みサントリーの「角瓶」1937年(昭和12)のデザイン。
当時のキャップシールは純錫製。
瓶の表面に施されたのは、日本古来の吉祥柄の「亀甲切子」。
「日本のウイスキーには日本のかたちを与えたい」と、すべてジャパン・オリジナルを
目指してデザインされたそうで、当時のメーカーとデザイナーの心意気が伝わってきます。
右側は2007年(平成19年)版の「角瓶」。
殆どデザインは変っていませんが、ラベルに年代を感じます。
左側のには、右から「株式会社壽屋」と書いてあります。
サントリーの「旧社名」ですね。
今回の展覧会で、私の印象に一番残ったのは…↓
真ん中の赤い弾丸のようなもの…これは口紅だそうです。
1943年(昭和18)に製造された資生堂の非売品の口紅。
「贅沢は敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンのあった戦時中に、なぜ
口紅が…?と不思議に思いました。
当時、14歳から25歳までの女性が軍需工場に「女子挺身隊」として動員されていたそう
ですが、その女性達へせめてもの彩りを添えるものとして、特別配給された口紅でした。
資源不足のため、容器は木で作られ、しかも普通より短い口紅です。
何も知らない世代の娘はこれを見て「可愛い、なんかおもちゃの口紅みたい…」と
無邪気なことを言っていましたが、夫や私の伯母達は、戦時中女学校の生徒だった
ので、軍需工場へ駆り出されていたことがあります。
伯母達も、この口紅をもらっていたかもしれない、私の娘と同じ年頃の時、伯母達には
お洒落をすることは許されていなかったとばかり思っていたのですが、もしかしたら、
こういうささやかな喜びの瞬間もあったのかもしれないと思うと、少し嬉しくなりました。
その下は1945年(昭和20)の「ドルックス」の香水です。
1944年(昭和19)に、政府直営の貿易機関「交易営団」から受注した輸出用の
高級香水で、この時代に、香料や容器などの材料はどうやって調達したのかというと、
政府からの「特別な便宜」があったそうです。ある所にはあった…ということですね。
ちなみに「交易営団」とは何だろう?と思って調べてみました。
「営団とは日中戦争遂行のための国家による統制管理目的の特殊法人で、経営財団の
略称」だそうで、2004年まであった「営団地下鉄」の前身の他に「食料営団」「住宅営団」
が設立され、どうやらこの「交易営団」もその一つで、政府経営の「貿易会社」みたいな
ものだったのでしょう。
政府のお墨付きににより、資材は調達されたのですが、印刷機が空襲で焼失していた
為、レーベルの文字等は浮世絵版画複製の技術者により木版で印刷され、その紙は
上等の「鳥の子紙」が使われていたそうです。
昭和20年といえば、もう戦争末期、本土が空襲を受けていた時に、このような
素晴らしいデザイン、技術の製品が作られたとは…まさに「手仕事」の得意な日本人。
瓶も箱も、後の「技術王国日本」の到来を予測させる製品でした。
「戦争」という国家の非常時に作られた二つの化粧品。
一つは国民のための「粗末な口紅」。
もう一つは国家の威信をかけた「贅沢の粋を凝らした香水」。
時代を反映する、でも対照的な二つの化粧品を作った「資生堂」という老舗の歴史を
感じさせるとともに、どちらにも真剣に取り組んだであろう、デザイナーと技術者の
心意気をここにも感じました。
幕末まで、日本は長い長い時間、鎖国を続けてきました。
その間に日本独自の伝統と文化を発展させていました。
明治維新後、文明開化で外国の文化がどっと流れ込んで30年で、↑の「オイデルミン」の
瓶のようなデザイン、製作ができるようになった日本人。
その下地には、日本の着物の図案の上品で繊細なセンスと、浮世絵等の版画の
ポップで力強いセンス、そして伝統の手工芸の確かな技術力があります。
それから112年の今日まで、資生堂、サントリー、ともに第一線の企業であり続けて
います。今日はこの二つの企業でしたが、商品デザインは、商品がある所、世界中
どこにでも、いつの時代にも、商品を売るためには必要不可欠なものです。
縁あって、アメリカでデザインの勉強を始めたばかりの娘ですが、100年以上前に
デザインされた商品が、今も少しも古くなく、今でも欲しいと思ってしまう…それは製品の
品質が高いということは当然ですが、それだけでなく「デザインの力量」による影響も
大きいのだと、あらためて実感できたようです。
2年おきに開催されるこの東京藝大の「企業のデザイン展」。
第1回は「iichiko design展」、第2回「JR東日本展」でした。
次回はどこでしょう?…2011年が楽しみです。
by toco-luglio
| 2009-06-02 02:54
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